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【Music】昼よりも甘美な夜 | METライブビューイング『ホフマン物語』

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陶酔とはこのことだ。

METライブビューイング『ホフマン物語』(3/10)。バートレット・シャー演出によるこの舞台を観るまで、わたしはオッフェンバックのこのオペラがこんなにも甘やかで、芳醇で、洗練されたスペクタクルだとは知らなかった。

オランピアのアリアや舟唄は、当然、昔から大好きだった。フランスもので、『くるみ割り人形』の原作作者、ドイツ・ロマン派の詩人E.T.A.ホフマンが主人公というだけでも注目に値するし、ゴシックの匂いのするダークファンタジーだし、そこここにモーツァルトへのオマージュが登場するし――好きに決まっている。しかし、足元がふらつくほどの陶酔に浸れる作品だなんて知らなかった。シャンパンなど飲んでいないのに、帰路は宙に浮いているようだった。

 

なによりもホフマン役のヴィットーリオ・グリゴーロである。なんという、声の力!

群衆のなかからでも突き抜けてきて、ダイレクトに胸に響くテノール。いつまでも聴いていたい。そんな声だった。私はオペラファンのなかでも演出要素が好きなタイプで、歌手の追っかけはあまりしたことがない。それでも、4月の来日公演には駆けつけなければと激しく魅了されてしまった。容姿にも恵まれている。素のキャラクターもあいまって、ホフマン役が当たったのも納得の“ロマンティック・ヒーロー”だ。

 

そして、ああ、紳士淑女のみなさま、わがいとしのケイト・リンジー(写真)を見てほしい!

ホフマンの“ミューズ”(女神)と“親友ニクラウス”(ズボン役)を演じるメゾソプラノ。とにかく、これほど美しオペラ歌手は見たことがない。カメラが彼女をクローズアップするたび、息が止まりそうになった。ダンサーのように細くしなやかなのに、当然声もいい。すこしハスキーで凛とした声にフランス語の響きのギャップが、壮絶にセクシー。とりわけ、

・ホフマンと運命の恋人たちが愛を語るのを、背後で凝視するニクラウス

・舟唄の場で、いつもきっちり結んでいるスカーフを情事の後のように乱しているニクラウス

にはどうしようなく身もだえてしまった。心のなかで何度、「シャルル・ドゥ・アルディ!(私の夢のフランス貴族の名)」と叫んだことだろう。

 

“4人の悪役”を演じるトーマス・ハンプソンもまた、期待どおりの妖しい魔王ぶり。すべての幕を通して舞台にこの絵になる3人がいて、目にも耳にも至福の喜びを与えてくれる。それだけでも、このプロダクションは最高だ。

 

その上、バートレット・ シャーなのである。舞台を覆う闇のような黒に、差し色のピンクのドレス。その色は、ミューズの纏う神話のようなパウダーピンクから、死せる歌姫アントニアのフクシャピンク、自動人形オランピアのチェリーピンク、そして高級娼婦ジュリエッタのベルベットのような薔薇色へとグラデーションを描く。

抑え気味の照明もいい。色調は抑えめながら、幕ごとに変化する背景や男性たちの衣裳も上品で洒落ているので、裸同然のダンサーたちまですべてが美しい絵画のよう。 

芸術家の人生の挫折を描いた物語である。喜劇的ですらあるオランピアとの恋にはじまり、アントニアとの悲しい死別を経てジュリエッタに騙されるという順序をとったことで、悲哀や狂気を強調することもできただろう。しかしシャーは、それをしない。ラストの「人は恋によって偉大になり」が、あたたかく崇高な救済の響きとして歌われる。

 

おそらくシャーは画家アングルのいう「現実をすこしだけ超えた美しい世界」の価値を知っている人なのだと思う。音楽でも美術でも映画でも、私はそういう芸術家が好きだ。

こんなにも『ホフマン物語』を好きなれたのは、シャーとMETのおかげ。エンドロールを眺めながら、ピーター・ゲルブにまで「ありがとう!」と叫んでしまった。

陶酔に微笑む、甘美な夜。時は過ぎ、戻ることはなくても、こうしてまだ奇跡のような出会いがある。

オペラが、音楽が好きでよかったと心から思った。すばらしい夜だった。


METライブビューイング:オペラ | 松竹

※『ホフマン物語』は、改修中のTOHOシネマズ六本木ヒルズでは3/21-の上映。ひとりでも多くの方に目撃してほしい!