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【Life】優美ということ

好きな色は白。
好きな花は庭に咲く薔薇。
美しい唇でいるために美しい言葉を語る。
そういうわたしを形づくったのは、きっと、オードリー・ヘプバーンだとおもう。

だいすきな祖母のだいすきな女優として、アン王女役の彼女を知った。
訃報を聞いた朝はいっしょに泣いたし、高校の推薦入試では「尊敬する人物は」の問いにその名を答えた。
どんなに月並みといわれたって、カポーティの原作のよさがわかる年齢になったって、好きな映画第1位はいつだって『ティファニーで朝食を』。
そのこだわりは、ブレア・ウォルドーフ*1にも負けないつもり。



この正月、あらためて彼女の映画や伝記を読み返したのは、祖父の死がきっかけだった。
長く患っていたから覚悟はしてたが、あたりまえのように茫洋とした喪失感に襲われ、なにもできないまま大人たちが立ち働くのを眺めていた。
死ほど、人間の本質を見せつけ、生き方を考えさせられるできごとはないだろう。
わが家は基本的に楽観主義的だが、本質的にはきわめて真面目であることに、目を開かされた。
もしかしたらそれは、無口でシャイだった祖父の影響なのかもしれない。
言葉は少なくとも相手に対していつも真摯で、優しかったからこそ、愛された人だった。

自己主張しかできない人間には、絶対になりたくない。
そんなことを、妹と夜通し語ったりもした。
どんな親族のなかにも、そうした手合がいれば、反対に心地のよい距離感で気遣いのできる人がいる。
そういう人は信頼できる。
美しく、賢く、段取りよく仕事をこなし、けれど出すぎず引っこみすぎず、気のきいた文句をいうわけでもないのになぜかそばにいるとほっとするような大叔母がひとりいて、彼女のようになりたいとおもった。
別れ際、その思いをそっと口にしたとき、
「あら、ありがとう」
とはにかむような優美な表情が、また、すてきだった。
それは、わたしが最近とみに感じる寛容や、謙虚への憧れの先にあるものだった。
忘れないように、ヘプバーンの映画を流している。



気品。自制。慎み。
考えてみれば、わたしがヘプバーンに憧れた理由は彼女の美しさだけではなく、その気高さであり、上品なユーモアであり、もろさであり、強さだった。
ずっと高みを目指し、貪欲に、強くなりたいと歯を食いしばって生きてきたけれど、ほんとうの強さってなんだろう。
祖父を慈しみ、看護する祖母を目にしながら。
自分も大切な家族を亡くしたのに、気遣ってくれる優しい人によりそいながら。
大切なものを守るためのほんとうの強さについて思いをめぐらせた、ひと月だった。

他者を第一にできないのは恥ずべきこと。
自制できないのは恥ずべきこと。*2

優しさこそが美しさであると刻み、優しさに感謝しながら生きていたい。

*1:人気少女小説兼ドラマ『ゴシップガール』の登場人物。通称B。アップタウン育ちの生粋のソーシャライトで、ヨーロッパの王族やヘプバーンに憧れている。

*2:『the audrey hepburn treasures』(講談社