【Art】失われた街を求めて | 練馬区立美術館「19世紀パリ時間旅行」
午後、録画していた『ヨーロッパ王室御用達「フランス 王と妃が愛した逸品」』(NHK-BSプレミアム)を視聴。
ブルボン王朝の末裔タニア・ド・ブルボン・パルムが愛用するバカラのクリスタルグラスは、かつての王室御用達。ルイ18世が保護し、当時の先端技術をベルギーから導入したという。ナポレオンが愛し、皇后ジョゼフィーヌを彩った宝石商はショーメ。そして、絶世の美女といわれた皇妃ウージェニーが寵愛した香水商、それがゲランだった。
英国で医学と化学を修めたゲランは、1828年、リヴォリ通りのホテル・ムーリス1階に「香水とビネガー」の専門店を創設した。
香水とビネガー。不思議な取り合わせに思えるが、19世紀、ビネガーはコルセットのため気絶しがちだった貴婦人が気付け薬として愛用していた。つまり、香水と並ぶレディの必需品だったのだ。
先日の音と香りの実験室でもご紹介したとおり、私は音楽家チャイコフスキーがピアノの上に置いていたビネガーの小瓶(レディが首から下げるための装飾品)を題材にした、Diptyqueの香りの話が好きだ。*1
Diptyqueの調香師たちは、サンクトペテルブルクの思い出として、このビネガー(Vinaigre)の香りを再現した。試しに嗅いでみると、まごうかたなきビネガーだった。ルームスプレーや、掃除に使う人も多いとか。
音楽家の香水にはロマンがある。
フランス文学者の鹿島茂氏のロマンは、「失われたパリの復元」にある。
去る5月、東京・練馬区美術館で開催中の「19世紀パリ時間旅行」を訪れたときの所感だ(5/18)。
皇帝ナポレオン3世とウージェニーが君臨した第二帝政期(1852-70)。1853年セーヌ県知事に就任したオスマン男爵が着手した「パリ大改造」によって、景観は様変わりし、現代に続く都市の骨格が形成された。
ユゴーやバルザックが描いた「失われたパリ」を愛してやまない鹿島氏は、およそ30年の時をかけて古地図や古書、版画等を収集。19世紀パリの全体像に迫る展覧会の礎となった。
入口には「スタインウェイ・スクエア」という四角いピアノ。
展示室に入ると、まずはローマ時代の古地図がお目見えする。中世から絶対王政期、革命と大改造、パリ・コミューン、万博、ベル・エポックに『レ・ミゼラブル』(特別展示)――貴重な史料がこれでもかと展示され、解説も詳細。
19世紀の遥か以前からスクラップ&ビルドを続けてきたパリの歴史を辿りつつ、「パリ大改造」に焦点を集めていく展示は、とてつもない濃密さだった。
なかでもときめいたのは、皇帝夫妻が見守るサロンに展示されたドレスの数々!
《椿姫》のモデル、マリー・デュプレシが着ていたような草花柄のブルーのデイ・ドレス(不明、1855頃)。
右はピンクの絹タフタのボディスとアンダースカートの上に、アイボリーの絹ゴースと絹サテンでストライプを織り出したイヴニング・ドレス(不明、1866頃)。そして奥に、アイリーン・アドラーを思わせるワインレッドの絹サテンにストライプと葉文様のシズレ・ベルベットのバッスル・ドレス(シャルル=フレデリック・ウォルト、1883)。
時代ごとに変化していくモードが、それぞれのヒロインを思い起こさせる。
以前ご紹介したシャセリオー展では、「ロマン派マップ」でシャセリオーはもちろん、大小デュマ、リストにベルリオーズ、ジョルジュ・サンド&ショパンのカップルまで、みんなが歩ける距離に住んでたのが嬉しい発見だった。
この「19世紀パリ時間旅行」展は、そんな彼らが生きた舞台、いまは見ることのできない「失われた街」を旅するような経験だった。
アンシャンレジームの末期から、人々はパリが世界に一つだけの都市だと自覚するようになる。そうして大改造を経験後、印象派などによって過去のパリが懐かしまれた。パリほどフォトジェニックな都市はない。しかし、私たちの知るパリは、思っているより新しい。
昔、鹿島作品を読みふけっていた少女時代、あるフランス女優が「私はカルナヴァレ博物館がお気にいりなの」と語るのを聞いて、ずっと憧れていた。
歴史がたくさんつまった博物館自体も、「パリの破壊と創造の司祭」オスマン男爵によって作られたのだと知った。
今度パリに行ったら、もう一度、古地図とにらめっこして歩いてみたい。*2
「19世紀パリ時間旅行 ~失われた街を求めて~」6月4日(日)まで。