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COCO after CHANEL

【親仏家のためのアジェンダ 特別編】

ココ・シャネルの本名は、ガブリエル・シャネル
1883年に貧しい行商人の私生児として生まれた彼女は、12歳になる前に母に先立たれ、父に捨てられ、カトリック系孤児院や修道院で裁縫を習う。
歌手になることを夢見、鳥のようなさえずり声で有名なキャバレーのシンガーになり、「誰かトロカデロ広場でココ(カッコウの鳴き声)を見なかった?」という歌にちなんで“ココ”を名乗る。
その美貌と才能で裕福な男たちに庇護され、デザイナーとして頭角を表し、有名なシャネル・スーツを発表、1930年代後半にはフランス・モード界の中心人物になっってゆく……
これがよく知られた、COCO before CHANELの事実である。 


映画がどのような内容かなのはわからないが、本当に面白いのはこの後だ、と私は思っている。
私がはじめて出会ったシャネルは、映画でもスーツでも口紅ですらもない。またしても本であった。ポール・モランのシャネル伝L'allure de Chanel(邦題『獅子座の女シャネル』文化出版局)がそれである。

あたしは、ヒロインではありません。でも、あたしはこうなりたいと思い、その道を選び、そして、この思いを遂げました。そのためにきらわれたり、いやな女だったとしても、これはしかたのないことです。

秦早穂子の翻訳――とりわけ“あたし”という一人称は強烈に、衝撃的に胸に飛び込み、棲みついた。火のように激しく、毒々しい言葉は、ファッションをビジネスと言い切る。曰く、モードは芸術ではない。オリジナリティなんかに惑わされてはだめ。
リトルブラックドレスのやイミテーションの宝石の逸話、ナンバー5の意味……
果たして20世紀とはそのような時代であった。シャネルは、その事実をはるか高みから見下ろしていたかのようだ。


アリュール、という言葉もこのときはじめて知った。
ボーダーのシャツだけでも贅沢ということ。
シャネルは、贅沢の本質をよく理解していた。大衆にアピールしつつ、それを超越した“イメージを売る”。
この意味で、シャネルは実にフランス的な企業家である。

シャネルは貴族主義の息の根を止め、大衆の時代の寵児となったが、一方でノーブレス・オブリージュを実践し続けた。
ジャン・コクトーは語る。
「ココ・シャネルの名前なしには、、フランス文学史を語ることはできないだろう」
コクトーやラディケ、ディアギレフのバレエ・リュス、前述のストラヴィンスキーにサティ、ピカソヴィスコンティ
革命的なクチュリエールにしてパトロネス、同時に恋多き女
これが、さながらCOCO after CHANELのイメージ、魅力である。 

獅子座の女シャネル

獅子座の女シャネル

 

芸術の守護者であったシャネルの遺志を継いだ試みは、銀座の本店でも、リシャール・コラスと熱意あるキュレーターやスタッフによって守られている。
シャネル・ネクサス・ホールは、2004年にオープンしたシャネル・ビル4階にあり、当初から「若手音楽化育成のためのクラシック・コンサート」と「写真展」を中心にプログラムが組まれている、シックで上品な空間だ。

中心的なコンサート・シリーズCHANEL Pygmalion Daysは無料(予約制)で60分。
週末の買い物の合間、ランチの後やディナーの前でも楽しめるよう時間も設定されているので、乙女たちにうってつけだ。
忘れてはいけないのが、Pygmalionが「才能を信じ、支援して、開花させるひと」という意味であること。
愉しみながら、音楽の魂と若い芸術家たちの思いを受け止め、彼らの活動を応援してゆく……
そんな“シャネルごっこ”が、オトクラの提案。

CHANEL Pygmalion Days
2008年後期は7/4~
http://www.chanel-ginza.com/