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英国レディがゆく

そもそも、英国で「レディ」という言葉が、生まれよりもふるまいや感性、日々の生活様式において品のある女性について用いられるようになったのは、およそ19世紀半ばからだった。英国レディの起源は、大英帝国が世界の覇権を握っていたヴィクトリア朝(1837-1901)に求められる。もとは貴族の令夫人・令嬢を意味したレディは、こうして精神性や教養が強調されるようになり、中流階級の女性もこぞって英国の「レディ」たるべく磨きをかける運びとなった。
岩田託子/川端有子『英国レディになる方法』

イギリス女は大柄でかわいくない、という通説は昔からあるが、魅力的なイングリッシュ・ローズたちはたくさんいて、なかでも若手筆頭としてがんばっているのがキーラ・ナイトレイだろう。
古典的な顔立ち、その冷たい表情の下に秘めた芯の強さと情熱を演じさせたら代わる者がいないというわけか、いま英国の映画でコスチューム・ヒロインといえばキーラ。
なにしろ『マイ・フェア・レディ』のイライザ役も控えている。

というわけで、劇場公開時見逃した『ある公爵夫人の生涯』(2009英伊仏合作/25日発売)を視聴した。
結論としては、もうめずらしいくらいに駄作。
そのへんの昼ドラくらいの出来で、もし昼ドラだったら、キャストと衣装の豪華さだけで価値はあったかもしれないが、映画館で見るものではない。
冒頭の、センスのないセンチメンタルな音楽から悪い予感はしていたが、ふたを開けてみれば若い監督が英国版『マリー・アントワネット』を作ろうとして失敗した感が満載で、同じようなプロット(ヒロインの基本キャラ、シャーロット・ランプリング演じる母との関係、レイフ・ファインズ演じる夫の退屈さ、生涯の女友だち)やカット(草上のお遊戯、婚礼や食事、密会シーン)に安っぽさを覚える上、違いを出そうとがんばっている部分がメロドラマとエロなんだから手に負えない。
もう、なによりも、脚本がいやだった。 クライマックスが「子どものために夫のもとに戻った」ジョージアナが、愛人の子を身ごもっていて、その子は泣きながらもあっさり手放し、夫は和解を申し出る・・・ってどうなの?
アントワネットの場合は革命という環境があって、夫との強い友情というシークエンスにつながる。
でもこのヒロインの場合は、え? 子ども・・・?(絶句)
実はこの映画、冒頭に上品ぶったフォントで、
「この物語は真実である」
って出たのだけれど、当然、こんな通俗な物語、現実以外のなにものでもない。 

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これだけではキーラがあまりにも気の毒なので、2008年の傑作のひとつ、『つぐない』も紹介しておきたい。
これはジェームズ・マカヴォイを紹介したときにさらっと触れただけだったのだが、ここでのキーラはまさに適役である、斜陽の大英帝国のレディを自然に演じている。

戦火が忍び寄る1935年。
セシーリアは身分の違うロビーに対し、特別な愛情を感じ始める。
しかし、セシーリアの妹、多感な文学少女ブライオニーは、そんなふたりの関係を嫉妬まじりに嫌悪。
ブライオニーはある「嘘」をつき、結果としてロビーを刑務所送りにしてしまう。
囚人として前線へ駆り出されたロビーと、喪失に耐えるセシーリア、引き裂かれたふたりは再び会うことができるのか。
自分が犯した罪の重さに気づいたブライオニーは、罪を償うことができるのか。

前作『プライドと偏見』(ジェイン・オースティン原作)でもキーラ・ナイトレイをヒロインに起用したジョー・ライト監督だが、彼は文学を愛し、誠実に、原作と向き合っているがよくわかる。
マキューアンの持ち味でもある緻密な構造を、映画ならではの色や音(あの、タイプライターの音!)で惹きつけながら、丁寧にスクリーンに「移行」させた。
序盤のセシーリアの屋敷の調度、鮮やかなドレスのグリーンや路面電車の赤、大人になったブライオニー(『エンジェル』のロモーラ・ガライ!!)の空虚な表情。
なにより忘れがたいのは、時代や階級、恐ろしい人間の感情に翻弄される青年ロビーの眼差し。
すべてが美しく、棘のように痛い。傑作。

公式サイトはなくなっていたので、代わりではないが、思わずうなるCLASSICAのレビューを。
見つけたときうれしかったので(ラヴコール)。
http://www.classicajapan.com/wn/2009/05/130011.html

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