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モーツァルト大好き

初校ゲラが到着。
読み返しながら、たったひと月前の自分の言い分が気に入らない。
端的に言えば、人物のセレクトが微妙。
「名演奏家」のお題に異を唱えることに気をとられすぎて、ぼんやり思いつくままにすきな人びとを並べたようで、気づいたら内田光子高橋悠治がいないままだ。
(連載本文で書こうと思っていて、削ったという経緯もあるが。)
これはまずい。
高野麻衣というゴチックの横に、このひとにはいてほしいという名がないのは、ちがうんじゃないか。

ネットの世界では「バトン」とか「100の質問」とか、一問一答形式の自分語りがみんなだいすきだが、わたしは苦手。
でも日ごろから、そういうソートをやっておいたほうが便利なのかもしれない、とこんなとき思う。
  
わたしと内田光子の出会いは10才のとき。
おこづかいではじめて買ったCDアルバム「モーツァルト大好き」のなかに、端正な、あまりに端正で上品なピアノ協奏曲や、ソナタが3曲入っていて、それが彼女のものだったのである。
優雅、というのとは違う。
華美でない、品や知性というもの。
アーティストの違いというものがわかってくると、内田光子はやはり、わたしの指針となった。
いくつかの文章を読んで、彼女がボストンなまりの英語を話し、長くロンドンに住んでいると知り、なにかが腑に落ちた。

ソナタ全集や新譜の協奏曲を聴くことのできるいまでも、このコンピレーションは、わたしを原点に連れていってくれる。
ブリュッヘンの、いま思うとピリオド演奏のさきがけっぽい交響曲第40番。
若きバルツァの「恋とはどんなものかしら」。
グリュミオーによる協奏交響曲やヴァイオリン・ソナタ第28番。
ピアノはクララ・ハスキル

すりこみってすごい。
悠治さんもそうで、わたしのエリック・サティが「ジムノペディ」でなく「アーモンド入りチョコレートのワルツ」ではじまるのは、彼のおかげ。
波多野睦美との新譜も、期待している。

最近また、レコードショップに行くのが楽しくて仕方がない。 

モーツァルト大好き

モーツァルト大好き