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晴雨計 第16回 「すみれコード」

子どものころ、私はいっぱしの映画ファンでした。

もともとディズニーや、祖母の好きだったオードリー・ヘップバーン、その全盛期である50年代、60年代のクラシック映画が好きでした。「ロードショー」と「ムービースター」を購読するようになり、ブラッド・ピットにあてて英語のファンレターも送りました。中学に上がると監督や脚本で作品を選ぶことを覚え、万代のシネ・ウインドに通い、好みは徐々にマニアックになりました。アニエスカ・ホランドウッディ・アレンエリック・ロメールバズ・ラーマン、そしてソフィア・コッポラ。時代はミニシアター全盛期でした。

だから最近、「宝塚に夢中」と報告すると、昔馴染みの友人にこう言われます。「小難しい映画や『少年ジャンプ』が大好きだったくせに、変われば変わるもんだね」。答えは簡単。まったく変わっていないのです。

 

一般的に、宝塚=女の園のイメージは根強いけれど、舞台上で演じられるのはあくまで「男女」のロマンスであり、「男同士」の友情。しかも男役が絶対の上位にある以上、そして乙女の憧れを具現化するのが使命である以上、「男役×男役」の名シーンは山ほど生まれる――そんなことを、フランス革命期の悲劇を描いた『愛と革命の詩―アンドレア・シェニエ―』(花組東京宝塚劇場)を観ながら考えていました。革命は、時に愚かな男たちのロマンです。だからこそ、革命が嫌いな女はいないのです。

その上、宝塚には大切な秘密があります。それは「すみれコード」。

宝塚が目指すのが映画だとすれば、それは清く正しく美しい「ハリウッド黄金期の洋画」です。子どもの頃の私が夢見ていた、オードリーやグレース・ケリーの世界なのです。ラスベガスの寂れたバーを描いても、現代日本の刑事たちを描いても、現実の猥雑さからは一歩距離を置くような、美しい憧れのフィルターが存在する。これを抜きにして、宝塚を語ることなどできません。

東京宝塚劇場の次回作は『風と共に去りぬ』。映画版がヒットした時代は遥か遠く、娯楽の王はもはや映画ではありません。だからこそ私は、新旧の融合を試みながらも芯を失わない、宝塚の様式美に希望を感じます。気品、優雅、暖かさ、美しさ、そして斬新さ。宝塚が教えてくれるのは、「乙女の憧れ」への力強い肯定なのです。

 (2013年11月15日付「新潟日報」初出)