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その高貴なる女


映画『バレエ・リュス』(Ballet Russes, '05年アメリカ)を鑑賞。
2008年初映画は、乙女としてロシア・バレエをセレクト。
おさらいのつもりだったのだが、それどころか、未知の真実に驚きと涙が隠せない。

「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)は、天才プロデューサー、セルジュ・ディアギレフが生んだ「総合芸術」である。
20世紀初頭、革命を逃れてパリに渡った多くの亡命ロシア人――ニジンスキー、マシーン、ニジンスカ、そしてアンナ・パブロワらによる、ひときわ前衛的で刺激に満ちたダンス・カンパニー。
若きストラヴィンスキーが衝撃のデビューを果たし、サティやコクトーがアーティストに変身し、ピカソが、ダリが活躍した。
「バレエ・リュス」に関わったアーティストの名を挙げることは、20世紀の芸術家リストを作ることと同じできりがない。
コラボレーションという行為が、より深い意味で、当たり前のこととして行われていたのである……

ここまでが基礎教養としよう。
しかし、これが内容だと思ってはならない。
映画はディアギレフの死と解散の1929年から、半世紀に及ぶ「バレエ・リュス」の“旅”を追う。
大戦や人種差別、激動の世界情勢に揺れる20世紀。
内部抗争、資金不足による過酷なツアー、そして愛と葛藤。
あらゆる逆境のなかで、ダンサーたちは踊り続ける。
アメリカ、オーストラリア、中南米
世界中を旅してバレエを伝え、根づかせたのである。
彼らの“旅”をインタビューとアーカイヴ映像で綴ったこの映画は、いわば、ダンサーたちの生きざまのドキュメンタリーといえるだろう。

映画は、2000年に行われた「同窓会」――現在と、過去とをゆきつもどりつする。
見ているうちに、老境を迎えたダンサーひとりひとりがいとおしくなってくるに違いない。
「わたし、きれいだったのよ」
と語る夢見がちな老婦人の、本当に、なんて可憐で美しかったことか。
「君にプロポーズしたんだ」
と嘯くロマンスグレーなど、ほれぼれしてしまう、輝くばかりの貴公子である。*1

ひときわ気品に溢れた貴婦人が、デイムの称号を持つアリシア・マルコワ(Dame Alicia Markova)。
20世紀最高の英国人バレリーナのひとりで、最も有名なジゼルのひとりである。
ディアギレフに見出され、14才でバレエ・リュスに入団、ロシア風に改名した。
ディアギレフの死後ロンドンに戻るが、38年マシーンの「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」に参加。
退団後、ロンドン・フェスティバル・バレエ(現在の英国ナショナル・バレエ)を設立し、90代になるまで英国バレエの総帥として後進を育成した。
「バレエ・リュスで踊っていた頃は、報酬なんてほんのわずか。
でも、これが踊れる、あのデザイナーと仕事ができる、それが財産だった」
ラストの言葉が忘れられない。
「ねえ、私の人生は、なんてリッチなのかしら」
2004年死去。
ディアギレフのバレエ・リュスの最後のひとりだった。

 

 

 『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』
http://www.balletsrusses.net/
2月8日(金)まで<ライズエックス>にて上映中 

*1 バレエ・リュス・ド・モンテカルロプリンシパル、ジョージ・ゾリッチのこと。
40~50年代のハリウッド映画にも多数出演し、『夜も昼も』の「ビギン・ザ・ビギン」が有名。
その美貌は、7代前の伯爵がエカテリーナ女帝の愛人だったという、高貴なるプレイボーイの血によるもの。
彼を振り返るときの、老バレリーナたちの華やいだ様子が愛らしい。
撮影当時83才でスポーツジムに通ったりと、実に若々しい。
現在もアリゾナ在住。