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淡々と、ただ淡々と


いま読んでいる『音楽の聴き方』(岡田暁生中公新書、2009)のなかに、思わず膝を打つ発見があった。 

「そして」の接続詞より、むしろ「セミコロン(;)によってつなぐ」という比喩の方が似つかわしい音楽もある。…「彼は幸福だった(A); 悲しいこともあった(B); それでも彼は幸福だった(A')」といった文章を想像してみよう。…いろいろなエピソードが挟まれる。しかし絶えず元の場所へ戻ってくる。先へは進まないのだ。例えばモーツァルトは、どんな形式で作曲するときであれ、こうしたセミコロンでもって多彩なアイデアをつなぎ、巧みに気分を交替させ、しかも絶妙のバランスを取る名手だった。私は彼の音楽を聴くたびに、「そういえば」とか「ちなみに」とか「ただし」といった接続詞を連想する。

まったく同感である。
おおげさなドラマがあるわけではない、エピソードの連なり。
破綻のない美しい表現のなかに、ふいにのぞく切なさ、そうして人生は続いていく・・・
モーツァルトの音楽は、わたしのすきなマンガや小説と同じ構造をしていたのだ。

 

それというのも、実は昨日出会ったばかりの新人作家がひさしぶりのクリティカルヒットで、その名も『flat』(青桐ナツマッグガーデン刊)。
平淡とか、単調という意味を持つタイトルどおりの「なにも起こらない物語」だったからである。

超マイペースで飄々としていて甘いお菓子が(作るのも)大好きな高校生と、幼いのに忍耐強い無口な従兄弟の日常、というのが簡潔なあらすじ。
宣伝文がまた的を得ていて、
「超マイペース高校生・平助。そんな平助の日常を少し揺らしたのは、従弟の超忍耐幼児・秋で…。」
ああ、うん、そんなかんじだよね。「少し揺ら」すんだよね。と、大いに頷いた。

平助はマイペースである。
ゆえに、悪意がないのに無神経、ひとでなしと呼びならされ、気が回らないと呆れられる。
でも本人は言われるまで気づけないから、これってけっこう傷つくのだ。
自分がそうしてしまったことにも、それを悪しざまに言われることにも。
わたしも同じようなタイプだから分かる。
それが、幼児という感受性がダイレクトな存在を傍に置くことで、言動が「少しだけ」慎重になるのである。
秋を泊めて布団をとられたために、寝冷えして熱を出してしまった平助のモノローグが好きだ。
秋は子どもなりに責任を感じて落ち込んでいる。

泣かなくていい
けれど あっくん
そんなに落ち込んだ姿が 何をどう言ったら 元に戻るのか

伝わらないことは報われない。
直前の、ラブレターをすっかり放置してしまったエピソード(高校生なので学校生活描写も多い)も絡んで、平助は考える。
また泊まりにおいで、のことばは、ふたりにとっての福音だった。
相手のことを思って、真剣に伝えようとする気持ちがあれば、案外簡単に報われるのかもしれない。

まったりと、淡々と、人と人との関係や距離感を考える平助の横顔が印象的な作品。
素朴で、でも絶妙に美しいロンドのような作品。
続刊が楽しみである。

 

 

flat (1) (BLADE COMICS)

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