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あなたがいるかぎり

ルネ・マルタンの本を書き終えて、いま最後の校正作業に追われている。
この状況だからこそスケジュールは急ピッチになって、朝には送っておかないと、大切な戦友である編集者を困らせてしまうのに、おもうように進まない。
この、手元にある原稿に赤を入れてくれたひとが、いわきにいるのである。

 

実はきのうの午後、地震以来はじめてひとりきりだった。
大きな揺れはやり過ごしたが、夕方予定どおり停電になり、美しいモーツァルトを流したとたん、なにかの箍が外れたように嗚咽してしまった。
5日間ためこんでいたらしく、なかなか止まらなかった。
地震も暗闇も怖いが、なによりもひとりが怖かった。

 

おそらくその前夜、あるひとが西の故郷へ帰るからあなたもと善意の電話してきたときから、動揺は始まっていたのだとおもう。
疎開」など露ほども頭になかったので、現実はそこまでなのかと、ぐらぐらした。
この数日、さまざまなひとのさまざまな顔を見て、ことばを目にして、こんなにも自分と他人のあいだの距離というのは――幼いときから認識していたとはいえ、ただただ深いのだという事実にめまいがしたのである。
東京の安全さはかなり保障され、やりかけの大きな仕事だってある。
わたしはこの東京が絶対の住処だし、そこには仕事をつづける仲間や友人がいるし、家族は新潟である。
そしていわきにも大切なひとがいる。
動くなんてありえないと驚いた、これは正義でなく、そういう環境にあるわたしの主観でしかない。

 

人ってなんて弱いんだろう。
強くありたいとこんなに願っていてもこうなのだから、そうではない人間が弱音を吐きつづけたり、食料を買いこんで家に閉じこもったりするのも仕方がないことなのかもしれない。
情報や美談を公式RTしつづけるひとたちは、偽善でなく、それを伝えたい友人がいるのかもしれない。
あるいはそうしているだけで、そのひとの恐怖がひととき和らぐのかもしれない。

 

必要なのは平常心ではなく、平常以上の、すべてのひとに対する寛容さなのかもしれない。

フリーライターになったときはじめて、人間にもテリトリーがあるということを知らされた。
世界が広がれば広がるほど、わたしはどこにも寄る辺のない、たくさんの人間の中のひとりでしかないという事実を突きつけられた。
結局、わたしの小さな世界は家族とわずかな仲間で成り立っているものでしかない。
そんなことを考えシャットダウンしそうになると、彼はふらりと視界に現れ、眉間にしわを寄せた。
「プライド高すぎるんだよ、おまえは」
きっと風景の一部にわたしが溶けこんでいても、あたりまえのように説教してくるんだろうと思えるほど、彼はまっすぐまっすぐわたしの核心までやってきた。
彼に違うといわれれば気になるし、いいんじゃない、と言われれば進もうと思える。
思考停止ではなく、それが信頼というものなのかもしれない。
あやふやで、不可侵で、揺るぎないその信頼があるかぎり、わたしは進んでいけるのだ。

 

どうか無事でいてほしい。
そうしたらわたしは完成させたこの本を、誇らしげに進呈してやろう。

 

 

ベスト・オヴ・ヴァネッサ・パラディ

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