【Art】大いなる賛歌 | 霧とリボン「スクリプトリウム II~音楽を記述する試み」
この4月 、オープン1周年を迎えた「霧とリボン」直営SHOP“Private Cabinet”(東京・吉祥寺)。
「物語をテーマにしたハンドメイド・アクセサリー、紙製品、オーガニック紅茶など、愛書家の日々を美しく彩る小間物類」があふれる菫色の小部屋では、デザイナー、ミストレス・ノールが愛する「音楽」をテーマにした企画展《スクリプトリウム II~音楽を記述する試み》が開催された。
音楽の言葉(詩と楽譜)をカリグラフィ、タイポグラフィ、版画、刺繍で表現したこの美術展は、
音楽をイメージして作品を制作するのではなく、音楽家が「詩と楽譜」に向き合うように、「詩と楽譜」そのものを作品化することに取り組みました。
という希少な試み。連日多くの観覧客のにぎわいのなかで会期を終了、バッハ・コレギウム・ジャパン関係者など、音楽家や音楽ファンも多数来場されたという。実際、わたしが伺った最終日にも、小さな空間に入りきれぬほどのお客様がいらした。
正直、驚きだった。
「音楽(家)の美術展」は通常、「わかりにくい」と言われることが多いからだ。
音楽は日常にありふれたものなのに、いざタイトルにつくと構える人が多い。自筆の楽譜などが多いと、絵画に比べて見た目も地味になるし、「●●(という曲)のイメージ」を万人に伝えるには工夫がいる。「好きな人にはたまらないが、ヒットしにくい」のがこうした美術展だと思っていた。
それが喜ばしいことに、見事に裏切られたのである。
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おさらいになるが、「スクリプトリウム」は修道院の「写字室」を意味する。
冒頭の写真のように、会期中の“Private Cabinet”は「写字室」に様変わり。中世の写本が鍵を握るウンベルト・エーコのミステリー『薔薇の名前』に登場するような、厳かな空間だ。
低く流れる音楽のなか、中央の椅子に座ってゆったりと聖書を眺める女性客の姿も印象的だった。
まさしく『薔薇の名前』のようなカリグラフィ作品(中央)も。
佐分利史子《AVE MARIA(2016)》
「silent music」を主宰するピアニスト・久保田恵子さんの同名の楽曲を題材にしたもの。カリグラファ・佐分利史子さんが伝統の書体を21世紀の感性で”翻訳”、11世紀と変わらぬ祈りの音楽を、当時のネウマ譜を用いて表現した。
教会建築風のアーチの額装も、佐分利さん自らが手がけたものだという。
一方、同曲をHOLON(ブックデザイン/《霧とリボン》運営事務所)が表現したリトグラフ作品がこちら。
HOLON《Parure〜Tiara(2016)》
よく見ると、ティアラの描線が楽譜になっているのがわかる。「AVE MARIA…」ではじまる歌詞は「スカーレット・マルタゴン(百合)」の書体で綴られている。
タイトルの「Parure/パリュール」とは、同じ素材とデザインで作られたアクセサリーの一揃いの呼称。「音楽を纏う」ことをテーマにした今回のHOLONの出品作では、ティアラ、イヤリング、ネックレス、ブローチ、ブレスレットというアクセサリー一揃いを楽しむことができた。
個人的に印象に残ったのが、こちらの“イヤリング”。
HOLON《Parure〜Earring(2016)》
J.S. バッハ『マタイ受難曲』に登場するアルトのアリア「憐れみ給え、わが神よ(私を憐れんでください)」が題材になっている。
Bach: Erbarme dich, mein Gott (Matthäuspassion) - Galou (Roth)
ペテロの否認による三粒の悔悛の涙を、やはりイヤリングに見立てた楽譜に込めている。歌詞は、“生と死の狭間に位置する墓地の、アイアン細工の門”をモチーフにした書体「セメタリー・ゲイツ」で綴ったリトグラフ作品だ。
一方、同曲のアルトのアリア「わが頬の涙」を題材にしたカリグラフィ作品がこちら。
佐分利史子《52. Arie A.(2016)》
花びらをイメージしたフラクチャー体のアレンジだという。リフレインする歌詞を、その詞が歌われる通りに記述、まさに花びらが左右に揺れて落ちるよう。
今回は、こうして1つの「音楽」を2組の「写字」で見比べられたのがほんとうに興味深かった。
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じつはこの展覧会、HOLONタイポグラフィ作品展《スクリプトリウム〜聖書の言葉を写し、纏う試み(2013年・森岡書店)》に続く、2回目である。
ミストレス・ノールは80年代後半、大英図書館で装飾写本『リンディスファーン福音書』に、そして同時期のUKインディ・シーンでクールなタイポグラフィ文化に出会い、「文字芸術」に強い衝撃を受けたのだという。
以降HOLONでは、装飾を重視したオリジナル・アルファベット書体(前述の「スカーレット・マルタゴン」や「セメタリー・ゲイツなど)の制作を現代の写字法ととらえ、10年に渡る書の研鑽の上、ライフワークとしてきた。
そして2011年、《菫色の文法展》よりカリグラファの佐分利さんが参加。今回のスクリプトリウム・シリーズへと発展した。
もう一つの出会いが、「音楽」だ。
今回「写字」というテーマを広げ、「音楽を記述すること」を試みた大きなきっかけは、「詩・楽譜・音源」での参加となった2組の音楽家の存在がきっかけだったという。
まずは、ピアニスト久保田恵子さん。マリア様のような彼女が主宰する「silent music」で四季折々に開かれる美術展のことは、以前もご紹介したとおり。足を踏み入れただけで心が洗われる、聖なる空間だ。
そしてもうひとりが、唄うたいユニット“アネモネ”の歌手バニラさん。
2011年、「silent music」のグループ展にて、ミストレス・ノールはワーズワス「ルーシー詩篇」を題材にした刺繍作品を発表。そこに来場したバニラさんが、ノールさんの刺繍からインスピレーションを得て、楽曲《銀の針》を制作したのだという。
ルーシーへの弔いとして刺した刺繍。それが一篇の歌となり、歌われることで想いは運ばれ……
ルーシーに新しい「生命(いのち)」が吹き込まれたかのように、喪の糸に光が射しました
「いつか、《銀の針》をモチーフに、オリジナル書体を制作したいです」
バニラ様へ思いをお伝えしたことが、今回の「音楽を記述する試み」のはじまりとなりました。
こうして生まれたのが、HOLONオリジナル・アルファベット書体《銀の針(2016)》である。
当時まだ面識のなかったふたりの出会いについては、「霧とリボン」のブログや『復刊アプレゲール vol.2』でも読むことができる。
アネモネの楽曲は、喪の宝石、漆黒の「ジェット」がモチーフだ。
こちらが、オリジナル書体「銀の針」で楽曲「銀の針」の歌詞を綴ったシルクスクリーン作品。
HOLON《Black as Jet I(2016)》
モチーフは指輪。宝石を覗くと内側に「銀の針」の世界が広がっていた、という情景をイメージしている。
また、ミストレス・ノールは今回ふたたび、ルーシーの刺繍を発表。
ミストレス・ノール《六月の薔薇へのオード(2016)》
英国伝統の刺繍ブラックワークのアレンジで、十字架の縦のラインを「銀の針」の楽譜とした構成になっている。
「銀の針」によって、新しい「生命(いのち)」を得たルーシー。「六月の薔薇」と呼ばれたルーシーの薔薇色を、喪の色の中へ。針が運んだ「生命(いのち)」の物語を糸に託して……
あらためて、人と人のめぐり合わせは創作の原動力だ、と思う。
最終日、わたしはこの春に運命の出会いを果たしたチェリストの小林奈那子さんをお誘いして、会場を訪れた。このすばらしい試みを、その意義をわかってくれる音楽家に紹介したい、と考えたからだ。
そして、奈那子さんとノールさんが、ダウランドからレディオヘッドまで連なる英国音楽の話で意気投合した瞬間、えもいわれぬ高揚感に包まれた。
ノールさんとの恒例の山の上ホテルのお茶会で、大盛況の報告を受けたときもそうだった。震えるような感動だった。
音楽への愛。芸術への、そして英国や歴史への愛。
伝わりづらくて密やかな、けれどもとびきり美しい世界の秘密を、分かちあえる人たちがいる。それは、力強い希望の光だ。
書かれることが少ないなら、わたしが書けばいい。
ほんとうに愛するものをしっかり語って、わたしは生きていきたいのだから。
書きつづける勇気や、音楽を信じる力。さまざまなものをわたしは、この展覧会から与えられた気がする。
美しく小さきものへの、大いなる賛歌。
いとしい5月の展覧会の、あざやかな思い出である。
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