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トンガリ '95

真山巧のストーカー並のブレのなさは男子のハートもがっちり掴むらしい。
数年前、連載中の7巻までをなかば強引に貸してくれた文系メガネ男子も、真山への共感を熱く熱く語ってくれたものだ。
なにしろ、真山はアンドレである。年上の上司・理花さんはオスカル。「好きだ好きだ」と言われつづけて根負けして、「もうわかった、キミの気持ちは受け入れるから」という…作者も公認である。*1
でもね…
件の『宝塚イズム』ベルばら特集にも書いたことだが、真山もアンドレも、実際そばにいたら疲れるかもしれない。
「許せるのは少女マンガの男だからよ…」
あのとき、メガネ君に言ってあげなかったことを、いまでも少し悔やんでいる。たとえば北海道での乱心ぶり。
「俺と関わったのが間違いだったな!どこまでもつきまとってやる…簡単に死ねると思うなよ!!」
キモイ。というかコワイ。そのくせすぐ素に戻ったり、中途半端にやさしかったりで卑怯だし。
 
大人、というか、着々と大人になろうとしている姿勢は、むしろ好きなのだ。『ハチクロ』のひとびとは、おおむねそんなふうである。
美術大学に学ぶ5人の学生たちを中心に展開する、パステルカラーの青春群像劇。
そんなふうに思われていて、事実そうなのだが(だから「乙女回路が足りなくて苦手」というひとも多い)、わたしはなにより「大人になること」を全力で肯定した物語だと思っている。片思いやセンチメンタリズムは主題ではなくて、それらを経て、進んでいくことの物語。
青春の夢を美化することなく、ひどく現実的な仕事、とかお金、とか、そうして生きていくために進んでいくこと――そういうことを彼らは衒わず語る。実行する。どんなに苦しい恋をしても、仕事の手は抜かない。
最初から大人として登場する花本先生や野宮がカッコイイのは当然のことで、真山も竹本君もきっと、そういうカッコイイ大人になるんだろうと思っている。
…わたしは去年の今頃も同じようなこと言っているけれど。
大人になりたい。
大人になりたい。

アニメはノイタミナ(フジテレビ)の第1弾として2005年と2006年に放映された。全36話。
最初は独特のテンポに戸惑うところもあったが、第2シーズンになると話のシリアスさに比例して違和感も減っていくのでぜひ試してほしい。脚本が巧いし、声や動きがあるというのはひと味違った愉しみである。
わたしは第1話でスピッツの「ハチミツ」が挿入された時点で参ってしまった。タイトルの「トンガリ'95」は、『ハチクロ』や同窓会のおかげでこの夏のヘビロテとなったスピッツのアルバム『ハチミツ』*2 から、とがっていた時代に向けて。…もう13年も経つ。 

ハチミツとクローバー (4) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

ハチミツとクローバー (4) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

 

*1 羽海野チカ「メディア化するということ」『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』所収(太田出版、2007年)

*2 実は『ハチクロ』の「ハチミツ」はこのアルバム、「クローバー」はスガシカオのアルバム『クローバー』からとったものだという。そのためアニメの挿入歌には両者の楽曲が数多く採用された。
映画版の主題歌も、スピッツの「魔法のコトバ」。 (印象深かったのは、カタラーニのオペラ《ワリー》の〈さよならふるさとの家よ〉。)

映画では冒頭、タイトルが出てくる前に、ディキンソンの詩が引用されるのも好きだった。
正確には思い出せないが、

草原をつくるにはクローバーとミツバチがいる。
――エミリー・ディキンソン
こんなかんじだった。
わたしはてっきり原作にも登場するものと思い込んでいたが、特に本などを読んでいる場面はないし、詩や詩人を話題にすることもない。監督の気に入りだったのかもしれないが、わたしはとてもよく似合っていると思う。