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鏡写しのディーヴァ


伝記映画ばやりである。
現代を代表する監督や女優が、これまで語られることの少なかった女性作家や芸術家のリアルな生を描き出そうとする試みが目立つが、音楽家、とりわけオペラ歌手となると数が少ない。ディーヴァといえば、いつも判を押したようにマリア・カラスのご登場だ。
チェチーリア・バルトリはしかし、うっとりした表情でもうひとりのマリアを語る。

「ヴィヴァ、マリア・マリブラン。彼女は、時代を切り開いたひと」

その言葉でわたしたちは、古い文献のなかに静かに眠っていた赤いドレスの女が、現代に蘇ろうとしていることを知るのである。

なぜマリブランなのか。
それは“聴くことのできない声”の魔力なのかもしれないし、その人となりに関する多くの伝説によるものかもしれない。
歌手で作曲家でもあった父親から徹底的に訓練された声は軽快で、完璧なテクニックのメゾ・ソプラノ。大胆で、慣習にとらわれることなく、意志が強かった先進的な女性。28歳で逝った悲劇――それもベッリーニの一周忌に。なんてドラマティック! マリブランは、わずか10年余りの活動でヨーロッパ中を熱狂させ、早すぎる死によってロマン主義の偶像にまで高められた。カラスでさえマリブランの写真を肌身離さず持っていたといわれる。
彼女のために作曲された数々の曲――ドビュッシーラヴェルビゼーに決定的な影響を与えたスペイン民謡のスタイルや、ベッリーニの《夢遊病の娘》の真に迫ったメゾ・ソプラノ版。
そしてその「ビロードのような、深みのある、柔らか」な声が遺憾なく発揮されたノルマのアリア〈清らかな女神よ〉。
膨大な史料研究の成果とディーヴァへの心からの共感をこめ、オーケストラを従えるように祈りの歌を紡ぐバルトリの横顔には、神々しさが漂う。聴く者は、「明るく輝くような、チャーミングな」という月並みな形容がよい意味で過去のものとなり、この“音楽家”のステージがさらなる高みへと上昇しつづけていることに圧倒されるだろう。

マリブランの人生はヨーロッパの音楽を、芸術家や女性の立場を変えた。
契約や経理もこなすビジネス・ウーマン、政治的なオピニオン・リーダーでもあった。
並みいる人気歌手とは一線を画し、人気演目よりも文化的意義やメッセージ性のある作品・舞台を優先するバルトリが心酔するのにも納得がいく。
バルトリは、
「才能の塊のすばらしい音楽家、歌手で、独立した情熱的な女性、ロマン派を象徴する」
とマリブランを評するが、一方で、当時の常識やしきたりと戦いながら、時には絶望する繊細な女の側面も否定しない。
19世紀ならではのものに思われがちな女として生きることの葛藤は、内容を変えただけで実は普遍的なものである。そのことを、バルトリは看破しているのかもしれない。
アルバム『マリア』のアート・ディレクションでは、おそろいのブレスレットや赤いドレスでマリブランと“共演”し、女性性を軽やかに愉しんでいるかのようだ。
そんなバルトリの知性としなやかなエネルギーに、わたしたちは新しい時代の到来を感じるのである。その意味でバルトリは、まごうことなく“現代のマリブラン”だ。
何世紀かのち、音楽史の1ページに誰かがこう記すだろう。

「ヴィヴァ、チェチーリア・バルトリ。伝説の声にして、時代の開拓者」
 
 

  
マリア

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