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「声」という乙女道

音楽や美術、舞台芸術に映画――広くカルチャー的なものに留意していると、自分が「耳人間」か「目人間」かという傾向がわかってくるものだ。
私自身はおそらく「耳人間」寄り…ではあるのだが、だから視覚的な側面がどうでもいいということはなく、中途半端にかなりの「目人間」でもある、と思う。まあそういう五感全体でのクラシックの愉しみ方こそが、オトクラの趣旨のひとつでもあるし。
ただまれに、“完全な「耳人間」”に接するとうらやましいとも思う。
音楽ライターの仕事柄耳がいい先輩たちは周囲にたくさんいるのだが、一番身近なのが旧友M(ピアノ教師兼オタク)で、彼女は物心つく前から「短調の子守唄に大泣きした」という逸話の持ち主である。十代の頃には「いま一番ほしい楽器は音叉*1」と豪語していた。
加えていわゆる“声オタ”でもある。声優の話題にものすごく詳しく、アニメや洋画吹き替えのみならず、CMやスポーツ番組のナレーションまで「イイ声を聴くこと」に情熱を傾けている。しかも15年程前から絶えることなくずっとである。イイ声のために『ムーミン』や『クレヨンしんちゃん』を“熟聴”する女子中学生、いまにして思えば異様だ。*2
プロの役者以外でも、たとえば昨年の乙女ロード巡礼の際にも、彼女は執事のランクを発声で分けていた。
イイ声=イイ男。
その潔さたるや、もはやストイックな求道者のようですらある。
私自身、十代の頃は「声楽」や「朗読」のレッスン、コンクールに熱意をかたむけていたので、「声」に関しては譲れないものがある。
「声」は、人間の生理的な好嫌の要素としてもっと注目されてもいい。
だれしも第一印象としていいな、と思う人に共通した声のトーンや、話し方、というのがあるはずだし、その逆もあるだろう。なかでも異性の声というのは一番根源的なフェティシズムの対象だと思うのだが、あまり注目されてはいない。
恋人となるひとの声にも一貫性があったりはしないだろうか。たとえばわたしの場合、経験から鑑みて「中音から低音」の音域と「けだるさ」「ツンデレ」が必須であるようだ。

■ヨカナーン、お前の声はあたしを酔わせる
オペラならば断然バリトン派、という話題はそこかしこで表明しているが、声のフェティシズムで思い出すのは《サロメ》。
R.シュトラウスによる音楽はさておき、オスカー・ワイルドの原作で描かれるサロメのヨカナーンへの執着が「声」に端を発しているのは、“フェティシズムの世紀末”的ともいえるが、実は人間の本能に根ざしているのではないか。
「世紀末的退廃」とか「官能の物語/音楽」などと偏って評されがちなこの作品は、実は「声」に萌えた乙女が暴走する欝展開の少女マンガ(BL要素も濃厚)に似ているのである。

1)一方通行の連鎖
あらすじは下記に掲載するとして。*3
小姓は兵士ナラボートに恋をし、ナラボートはサロメ姫に焦がれた挙げ句に自殺。サロメはヨカナーンしか見ていない。ヨカナーンは神しか見ていない。ヘロデは神を恐れつつ義理の娘に欲情し、妻のヘロディアスはそれをせせら笑う。
一方通行の恋や妄執は、少女マンガや小説の定石。
おまけに美しい主に尽くし、翻弄されて苦しみ、挙句「お前ではだめ」と言われてしまう従者(長い定義だが、これもけっこう定番)が、わたしは大好き。だから本作品では、特別にテノールが演じるナラボートがすき。死んじゃうところも実にヘタレでよろしい。
彼に対する、サロメの少女らしい無邪気な誘惑セリフもまた、萌えポイントだ。
「あたしはいつだってお前に優しくしてあげたもの」
「お前の上に小さな花を投げてあげるよ、小さな緑の花を」
モスリンのヴェールの奥から、お前を見てあげるのだよ」
ジェイン・エア』より『嵐が丘』、『舞姫』より『甘い蜜の部屋』、『キャンディキャンディ』より『ベルばら』派のあなたは、おそらくナラボートが好きなはずだ。
いっしょに執事喫茶に行きましょう。

2)ヤンデレ美少女・サロメ
ヤンデレとは、ツンデレの派生として人気の萌え属性。諸説あるが、一般に「愛するあまりに精神を病んでしまうヒロイン」のこと。
わが身に降りかかることを思えば恐ろしいのだが、男は、特にヘタレ男はこれに弱い。だって彼女の病は純粋に愛するがゆえ、計算のない無垢さゆえ――その裏には「こんなに愛されてる俺」という自己愛が見え隠れするのだが、ヘタレ率の高い文学の世界では、いまも昔も愛されつづけるヒロイン像といえる。
ワイルドの戯曲において、サロメはヨカナーンの声を聞いただけで彼に恋をする(「なんて不思議な声だろう!」)。ヤンデレは思い込みが激しいので、ヨカナーン以外はなにも見えなくなってしまう。
ナラボートを誘惑したとき、サロメが見せたのは花を投げる、見てあげるという他愛のない恋愛の真似事。しかし圧倒的な性的魅力を持ったヨカナーンが登場した途端、サロメは変身する。恥や外聞をかなぐり捨てた執拗な求愛には目眩を覚えるほどだ。
ヘロデに対して自分の肉体の美しさを容赦なく見せつけるサロメ。しかしその対象はヘロデではなく井戸の中のヨカナーン。ヘロデは道具に過ぎない。サロメは男を操る手練手管まで一瞬にして身につけてしまったのだ。
目覚めたヤンデレサロメをもう誰も止めることはできない。なぜならサロメの欲望は、滅茶苦茶ではあっても純粋だから。
乙女による、乙女のための純粋な欲望の暴走は、王の軍隊をもってしても止めることはできないのである。

3)ドS聖職者・ヨカナーン
ヤンデレを受け止めるのはヘタレ男でなくてはならないのに、サロメが焦がれたのはどこまでもストイックで冷静、ある意味冷淡、もっと言ってしまえば愛する神以外にはどこまでもサディスティックな宗教者だった。
加えて、ワイルドの描くヨハネは異様な美貌の持ち主である。
「なんて痩せているのだろう!ほっそりとした象牙の人形みたい」
「その肌の白いこと、一度も刈られたことのない野に咲き誇る百合のよう、山に降り降りた雪のよう」
「お前の髪は葡萄の房、エドムの国のエドムの園に実った黒葡萄の房」
「お前の唇は象牙の塔に施した緋色の縞。象牙の刃を入れた柘榴の実」
荒野をさすらう洗礼者ヨハネをまさかの美青年設定にすることで、その冷酷が際立つ、というのも少女マンガ的。あるいはこの叙述、サロメの妄想力によるものかもしれない。
サロメは自分の美しさも、その美しさが男に与える衝撃も知り抜いている。しかし、その美しさがヨハネには何の力も持たない。ショック。ヨハネは精神の世界に生きる孤高の男だったのだ。
「何者か知らぬ。知りたいとも思わぬ」
とびきりのいい声で、こんなふうに冷たく突っぱねられたら、乙女の恋は燃え上がるというもの。サロメは肉体の世界を容赦なくぶつける。
「あたしはお前の口に口づけするよ、ヨカナーン

ストリップまでして手に入れたヨカナーンの首だが、その唇は苦かった。
「お前の唇はにがい味がする。血の味なのかい、これは?いいえ、そうではなくて、たぶんそれは恋の味なのだよ」
恋は甘いのではなく苦い。どんなに美しい男でも手に入れた途端に色褪せる。
サロメは初恋のヨカナーンの唇を手に入れた途端に、その恋が永遠に失われたことを知り、同時に自分の命も失う。苦い。ギュスターヴ・モローが、オーブリー・ビアズリーが繰り返し描いたサロメからは、もはや聖書の世界に描かれた名なしの姫君の姿を見ることはできない。

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    ■どの「声」を聴くか?
サロメは非常に難しい役である。どう考えても病んだ悪魔的欲望に対して、まるで天使のように純粋。魔性の女であると同時に、感情の赴くまま暴走する乙女。サロメの旋律は実にドラマティック、声もヘビー級が求められる――が、表現としては幼さがほしいという。リヒャルトはなにかを間違っている気がする。
カナーン。彼には預言者としての威厳、それに加えて狂信者めいた危うさも必要。圧倒的な美貌の持つ妖しさ=鬼畜性もほしい。

というわけで、どれを聴いたものか迷うオペラである。古いものしか浮かばない。
たとえば1961年のショルティ盤、ビルギット・ニルソンサロメはドラマティックな破壊力。1970年のベーム盤、ギネス・ジョーンズのサロメは硬質な少女の美しさ。しかしフィッシャー=ディスカウのヨカナーンが威厳たっぷりすぎて、マジ説教が怖いかも。1977-78年のカラヤン盤、ヒルデガルト・ベーレンスのサロメ。「ほしくてたまらなかった大切なお人形であそんでいたら首が取れちゃったの」と、その首を握りしめたたずむ青白い顔のゴス少女っぷりがいい。ヴァン・ダムのヨカナーンも、ディスカウに比べれば美貌の若者感アリ。
映像盤となると、クラヲタ・メンズの間では「7つのヴェール」のヌードシーンが話題になり、脱ぎっぷりではマルフィターノだユーイングだという話になりがちだ。
しかしサロメ役、声と姿は絶対に一致しない。聴くか見るか、どちらかで言ったら乙女はやはり「声」を極めるべし。

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*1 音叉(おんさ)は、特定の高さの音を発するU字型の金属製の道具。楽器のチューニングでおなじみ。音叉の発する音はほぼ純音であるため、陶酔しやすいのか。

*2 『ムーミン』(1990年版)ではスナフキンcv子安武人さん、『クレヨンしんちゃん』ではなんとぶりぶりざえもんcv故・塩沢兼人さん。当時から「●●と××はおんなじ声優さんなんだよ」「すっごーい」という会話を繰り返していた。彼女は声だけで聴き分けできるのだ。

*3 西暦30年頃。ガリラヤのへロデ王の宮殿。
月の輝く夜、警護隊長のナラボートが王女サロメの美しさを歌う。ヘロデの小姓は「王女を見てはならぬ」と警告、不穏な雰囲気。井戸の底からは、王妃ヘロディアスを非難し捕らえられた預言者ヨカナーンの声が響く。義父ヘロデの視線に耐え切れず庭に出てきたサロメは、ヨカナーンの声に魅了され、ナラボートを誘惑してヨカナーンを井戸から連れ出す。
登場するなり義父と母を罵倒するヨカナーンサロメは恐れつつもどうしようもなく惹きつけられ、キスを求める。「近寄るな、ソドムの娘」、拒絶するヨカナーン。嫉妬に狂うナラボート。耐えられなくなったナラボートは、自らに剣を突き立てて自害。悲惨な光景のなか、サロメは平然として「お前の口に口づけさせておくれ、ヨカナーン」。「サロメ、お前は呪われているのだ」、ヨカナーンは去る。
サロメを追ってきたヘロデは登場するなりナラボートの血に足をとられ、不吉な予感に怯える。井戸から再びヨカナーンの声。ヘロディアスがヨカナーンを黙らせてと迫るが、彼を恐れるヘロデは拒絶。気の滅入ったヘロデはサロメに踊るように命じる。サロメは冷たく拒否するものの、「踊ってくれたら、なんなりとほしいものをつかわそう」という言葉に、7枚のヴェールの踊りを披露する。
「私のほしいものとは、今すぐここへ、銀の大皿にのせて…ヨカナーンの首を!」
ついに根負けしたヘロデは死刑執行人に命ずる。緊張が頂点に達し、不意にヨカナーンの首が井戸から差し出される。サロメはヨカナーンの首に口づける。陶酔するサロメ。おぞましさに震えるヘロデの命令で、兵士たちが盾でサロメを押し潰す。

※文中の引用はすべて岩波文庫版(福田恒存訳)。